朝3歩爺叙

朝散歩のひとコマを綴ってます。

私の人生観「価値ある選択」

人には決められた運命ってあるのだろうか?
だとしたら、虚しい。
どんなに努力しあがこうとも、行き着く先は決まってしまっているのだから、全くのヤり損である。
やった事はやった事として、行き着く先へ少しでも影響して欲しいものだ。
成功者は言う。

 


努力が足りない、努力の仕方が間違っていると。
結果論的にも聞こえるが、自分の人生を振り返ると認めざるを得ない事が多く感じられる。
確かに、努力が足りない、努力の仕方が間違っていたのだろうと思われる事が多々ある。
幼い頃では、夏休みの宿題。
あなたは、自分で全部を期間内に終らせる事が出来ましたか?
私は、工作を親にお願いしたりしていたにも拘らず、全部宿題を終えることが出来なかったですね。
高校受験も、願書提出直前まで何の準備もせず、何も考えてすらいませんでした。
こんな事では、人生の行き着く先に影響を及ぼす事などある筈もない。
こういう自堕落な人生を送った人(私を含め)が、人には決められた運命があるって自暴的になるんでしょうね。
そんな人にも簡単に人生の行き着く先に影響を及ぼす方法は無いものでしょうか?

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人生、運命って、どういうものなのでしょう。
偉人伝などでは、必ず人生の分岐点、運命的な出会い出来事なんて事が必ず出てきます。
分岐点、そう、偉人はその時成功への選択をしたのです。
偉人伝に登場する人生の分岐点は、とるに足らない事柄から生死に関わる大きな事柄まで様々です。
とるに足らない些細な事柄なら、そうと気付かずに見逃してしまう事もあるでしょうが、偉人は、その些細な事柄に気付きしっかりと見つめて、捉える事が出来たのです。
人生の分岐点なんて、どれがそうなのかは、振り替えって感じるように、その場では気付いていない事が多いものです。
人生は選択の積み重ね。
自分の今は誰が決めたものでもない。
全ての選択は自分自身が決め、行動してきた結果なのです。
君のため、親のため、家業のためは決定の為の材料であって拘束条件ではないのです。
誰が何を言おうと、自分が決定しなければ手足を動かす指令を脳みそから出すことが出来ないのです。
そうなんです、友人があなたの手足を動かす事は出来ないのです。
私自身もそうですが、嫌な事や不幸な事といった負の状態に出くわすと、自分以外の要因にそれに至った原因を求めてしまうものです。
ですが、負の状態に堕ちる過程で発生していたであろう幾つかの選択(分岐点)の際、その選択肢を選んできたのは自分自身なのです。
例え友人などからのアドバイスに従ったとしても、従うと決めたのは自分なのです。
人生で幾度となく訪れる選択の場面(それと気付くと気付かざるとも)において自然に自分の将来に有益な選択肢を選ぶ事が出来る人もいます。
それを生まれ持った才能(カン)なのか、それとも幼少期の環境、教育などで培ったものなのかは、専門家ではないので私には解りませんが、それが出来る人がいると言うことです。
どのような思考でその選択肢が選ばれるか解りませんが、私やあなたにも出来る筈です。
今まで、人生の選択が上手に出来ていないと思えた方は大丈夫です。
何故なら、それに気付いたのですから、変えようとする意識が呼び覚まされたということなのです。
人生の選択を上手に行う方法はいくつもあると思います。
いくつもある方法の前に大事な事があると、私は思います。
それは、人生の選択肢を選ぶのは自分自身である事を自覚する事ではないでしょうか。
これが出来ていないと、いろいろな場面で外因に流されてしまいます。
そうではないでしょうか。
その場の勢いや感情、雰囲気で返事してしまて、後で後悔するって事がありますよね。
その一つの後悔は、すぐに人生へ大きな影響は無いかも知れませんが、積み重なった結果、将来に大きな影響を及ぼすかも知れません。


また、違う選択をしていたら、全く違った状況が生まれてきたかも知れません。
そう、雰囲気に流されて約束したら、その約束を果たすために自分の時間を費やすことになります。
反対に、断っていたらその時間を全く違う事に使えるのです。
散歩する程度といった、大した時間の使い方をしなかったとしても、その散歩中に今後の人生を左右する出会いをするかも知れないからです。
その出会いとは、人とは限りません。
たまたま覗いたお店で心を虜にする物に出会い、それを作ることに生涯を捧げるかも知れないからです。
人生どこのチャンスが転がっているか解りません。
ですから、自分にとって良い選択をする事を常に心掛けている必要があるのです。
難しいのは、良い選択とは何なのかですよね。
私が考える良い選択は「後で後悔しない」事です。
そして、「後で後悔しない」後=未来、将来ですから、予想も付かないのが厄介なところです。
「後で後悔しない」為にはどうしたらいいのでしょうか。
後悔するって事は、こうありたかった自分と違いが有るって事ですよね。
自分の中に、想定した未来像があったって事です。
だけど、想定した未来像に至る為にはどうしたら良かったのかが見えていなかったのではないでしょうか。
想定した未来像をはっきりさせ、それに至る道筋をはっきりイメージしておく事が「後で後悔しない」秘訣なのではないだろうかと私は考えます。
そうすることで、数ある選択の際に想定した未来像に近付く決断が出来るのではないかと思います。
とは言うものの、想定した未来像を簡単に描くことも難しい事です。
より具体的な未来像を描ける事が、より自分にとって良い選択をする事になる事は間違いありません。
抽象的であっても、それはそれで大きな間違いにはならないでしょう。
少なくとも選択の方向性は合っていると思うのです。
自分の未来像をどうしたら描くことが出来るのでしょうか。
一番の教科書は、自分の周りにいる人々ではないかと私は考えます。
特に自分より年配の方や親など、自分より遥かに多くの経験をされてきた方々は、非常に良い教科書だと思うのです。
その方々の体験を通したお話しの中に、人としてのあり方や理想像のようなものが隠れていると思うのです。
昔からいうではありませんか「亀の甲より年の功」とね。
いろんな実体験に基づき得られた考え方や思考は大変貴重なもので、その道のプロでさえも敵わない時が多々あるのです。
とは言うものの、親の意見はなかなか素直には受け入れられないものですけどね。

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「レールに乗る」と言われるが、方向性が示されただけで、そのレールを曳くのは自分自身である。
しっかりと地面を慣らし枕木を堅固に固定しないと、レールは曲がりやがて脱線してしまう。
枕木は即ち自身の経験、スキル等々で自分自身で身に付けなければならないものです。
それをしっかりと固定するには、経験、スキル等々をより深く掘り下げる努力や勉強が必要なのです。
浅い経験、スキル等々では、やがて枕木がズレて線路は歪み列車は脱線してしまう事でしょう。