朝3歩爺叙

朝散歩のひとコマを綴ってます。

アダムとイブは何故?リンゴを食べてしまったのか?

Facebookをやっているのですが、ある方が《世の中に男と女がいる理由は何?》との問いを投げ掛けました。

その問いに私は
「キリストは、母マリアがヴァージンで産んだとされていますが、聖書ではアダムとイブ、神話ではイザナギイザナミ、神は全能と言いながらも、子作りの能力がない。
だからパートナーを造った。」と返した。

 

それから、いくつかのやり取りをしました。
結果は、互いに霧の中ですね。
考えれば考えるほどに、深みに入ってしまう問いなのかも知れません。
Facebookでのやり取りは一旦保留しましたが、とっても興味が湧いていたので、自分なりに思考を廻らせてみることにしました。

 

生物学的な考察

単純に雄雌の存在理由なら、『種の存続』ですよね。
個体で子を作る事が可能だとしたら、自分の遺伝子情報だけしかないので、親から子に渡る遺伝子がそのまま渡ることになります。
要するに、遺伝子のクローンが渡されるのです。
コピーでしかない遺伝子は、情報の欠落かゴミの付着が起こり劣化してしまいます。
この場合、突然変異が起こらない限り、劣化しか起こらないのです。
現在のように、2つ(男女)の個体で子を作ると、2つの遺伝子が混ざる事で遺伝子の損傷部分を補い修復が行われ、変化(進化or後退、劣化)が生じる。
より完全に近い遺伝子となり受け継がれていくのです。
 
そこで、忘れてはならないのは『種の存続』です。
『種の存続』の為には、より強い個体に進化していく必要があります。
より強い遺伝子を残すいろいろな策が生み出されました。
植物や魚類に多くみられる方法は、兎に角沢山の子孫を産み出し残った者が強い者だというもの。
動物の世界では、より強い遺伝子のもとにパートナーを集め残す策、所謂“一夫多妻”が生まれたのです。
 

人類学的な考察

次に、人類学的な検知で考えてみます。
人類も当初はライオンや猿と同様に所謂一夫多妻のコミュニティを形成していたと思われます。
道具の使用が確認されたのが250万年前、火を使った痕跡は75万年前のことですが、まだ、猿のように鳴き声でのコミュニケーションは行っていましたが、言葉によるコミュニケーションは採られていなかったようです。
60万年前には発声可能な身体的特徴が備わっていたようですが、脳が未発達だったために言葉の発生には至らなかったようです。
人類が言葉によるコミュニケーションが採られていたであろう痕跡は7万年前のものだそうです。
言葉を発する身体的機能も備わり、火も使えたのに50万年近く、人類は沈黙していたのは、何故でしょう?
私の推論は、[言葉が必要なかった]です。
動物のような一夫多妻のコミュニティでは、力、パワーによって秩序が保たれているので、意思疏通の必要がなかったのでしょう。
時代としては、30万年前から3万年前までの中期旧石器時代で、氷河期に当たりとても気温が低い時代だった。
人類は火を使うことで乗り越えられたのでしょう。
 
衣服が用いられるようになったのは、5万年から7万年前と考えられていますが、具体的な証拠品は発見されていません。
 
が火を使い道具も使い、知恵もつき動物とは異なるようになりました。
それに加え天敵が無くなり『種の滅亡』という危機が薄れたのですね。
強い個体ではなく、多様性を求めるようになったのです。
 
人間がコミュニティを作り始めてから、秩序や規則が必要になり、天敵が無くなったことで天変地異を恐れ神を創り上げました。
 

宗教の影響

少々、歪んだ考察になりかねないので、私の宗教観を先にお伝えしておきます。
私は無信論者だと思っています。
とは言うものの、初詣をしたりお墓参りもします。
ですが、特定の宗教団体にも所属していませんし、信じる神や仏もいません。
何故私が無信論者なのかというと、宗教はとても怖いものだと思うからです。
入信の理由は、それぞれあります。
心のよりどころを得る為であったり、教えに共感したりであったりします。
しかし、心のよりどころであった筈の宗教に何時しか心が支配され、自分を見失ってしまう事になったりもしまいます。
自分の心を穏やかに豊かになるためだった筈が、子供を連れ回して勧誘活動したり、多額のお布施を投じたりしている様をよく聞きます。
そんなこんなです。
「神様はいない。
居るとすれば、それは、私。
そう全ての人々が神でありうる。」
 
では本題へ
宗教の出現により、人間にとって種を存続させる行為から愛情表現の行為に置き換えられたです。
何故置き換えられたのかは、宗教者の色欲が始まりだろうと思います。
その後、支配者階級と手を組み宗教を利用した市民の制圧と更な欲へ繋がっていくのです。
支配者を神格化して支配力、抑圧の強化をしたのですね。
民の欲を宗教によって悪として、民の反抗心を捨てさせたのでしょう。
その欲の中に「性欲」がありました。
DNAのある研究で、一定期間の間、極僅かな男性だけが生殖活動を行っていたとの結果が報じられてもいます。
選ばれた男性だけが、女性と交わることが許された時代があったということですね。
 
現代でも、モテる男とモテない男がいるのだから、同じようなものかもね。
 

精神面からの考察

《世の中に男と女がいる理由は何?》の字面上の答えは、物理的肉体的に言えば生物学的考察で出ていると言えます。

求める答えは、《何故?男と女は求め会う(引かれ会う)のか?》の方にあるのではないだろうか?

そう「アダムとイブは何故?リンゴを食べてしまったのか?」ということでしょう。

余談ですが、本宮ひろ志さんの作品("天地を食らう"だったと思う)の中で、「天は、生には快楽を与え、死には苦痛を与えた」といった言葉がありました。

種の繁栄の為には、至極理にかなった事ではありますが、人間界では『快楽』だけを求めるようになってしまったようですね。

その背景には、天敵がいなくなった事が大きいのではないでしょうか。

狩猟から農耕に移行した事で、更に、生存率が高まった事で、出産の頻度を高める必要がなくなったのでしょう。

何故?人間だけが"種の存続"の行為に快楽を得たのでしょうか?

犬や猿も快楽を得ているが、何故するのかをわきまえているのかも知れませんよ。

もうそのような行為とは無縁になったであろう、老人も茶飲み友達を作ったりしているのですよね。

中には、嫉妬や焼きもちといった恋愛トラブルも起きるくらい熱くなる方もいるようです。

男女は互いに求め合うように、DNAのくっきりと深く刻み込まれているのでしょうね。